展示Exhibition
特別・企画展
企画展
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「大学周辺歴史探検」
2007年3月15日(木)〜 2007年9月10日(月)
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はじめに
1887年に日本赤十字社病院が渋谷に移転し、今年で120年を迎えました。現在進められている広尾地区再建整備にともない、大学校舎は新築され、病院も今後さらに変化を遂げ、発展していくことになります。
今回の企画展では、広尾に病院が移転する明治より以前の歴史について、病院が移った後の昔の広尾風景、また、現在の広尾の町をご紹介しています。大学の周辺を散策するとき、広尾の歴史や町の楽しみを発見するための一助となれば幸いです。 -
渋谷広尾町の成立
古くは渋谷村に含まれており、武家屋敷が多い場所でした。1668年にはじめて村の中に町屋造りが許されました。その後、1699年の検地によって渋谷村から独立しました。町並地として町奉行支配に属したのは1713年からです。幕末には、人家150余戸があり、当時は周辺の町と比較にならないくらいにぎやかな町でした。明治に入っても、東京では渋谷といえばこのあたりを指すほど、渋谷の中心であり最も古くから拓けたところでした。
目黒街道(厚木街道)沿いに発展し、麻布に続いて町屋となったことと、江戸時代以来、渋谷・世田谷・目黒の農産物の中継ぎ市場であったことが広尾発展の原動力となりました。古くから遠州屋、相模屋などの野菜市場があり、毎日周辺の町から買出人が集まり、大変な賑わいだったようです。
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祥雲寺山門(現在)
臨済宗 祥雲寺 京都大徳寺派 瑞泉山と号す徳川初期、元和9年(1623年)、筑前国福岡藩主黒田忠之は父の黒田長政を弔うため、赤坂溜池の自邸内に竜谷山興雲寺という一寺を建立しました。その後寛永6年(1629年)瑞泉山祥雲寺に改められました。寛文8年(1668年)に火災に遭い渋谷に移転しています。墓地には多くの大名や文人などの墓があります。
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祥雲寺鼠塚
祥雲寺墓地の入口にあります。明治33〜34年にペストが流行したときに処分されたねずみを慰霊するために建立されました。塚の下部にはねずみが3匹彫られていますが、今にも動き出しそうなリアルなねずみです。探してみて下さい。
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堀田坂
渋谷区と港区との境にある。堀田家の下屋敷があったので、堀田坂と呼ばれるようになりました。
七星舎牧場跡
広尾商店街、祥雲寺山門の近くに七星舎牧場がありました。現在、その跡地は、七星舎ビルになっています。
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広尾商店街
店舗数も170店ほど登録されているにぎやかな商店街です。新しいお店と昔ながらのお店が混在しています。