展示Exhibition
特別・企画展
企画展
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「赤十字思想誕生150周年Our world. Your move.」
2009年5月〜
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スイス人のアンリー・デュナンが「敵味方の区別なく尊い生命を救わなければならない」と唱えたのは、150年前のソルフェリーノの戦いがきっかけでした。デュナンの訴えは共感を呼び、わずか5年後の1864年には欧州12カ国が条約を締結、国際赤十字の活動が始まりました。
日本では1877年(明治10年)西南戦争の折に、佐野常民らにより博愛社が創立され、日本政府のジュネーブ条約への加入に伴い、1887年(明治20年)に日本赤十字社と改称しました。現在、赤十字社は国際的な中立の救護組織として戦時ばかりではなく、平時の災害の犠牲者の救護に当たるほか、一般的な保健事業も行っています。
“Our world. Your move.”は、国際赤十字の赤十字思想誕生150周年キャンペーンスローガンです。私たちひとり一人がボランティアとして赤十字運動に参加し、社会の身近な人道的な課題に対して具体的な行動を起こすことを呼びかけています。 -
1. 1859年ソルフェリーノの戦い
今から150年前の1859年、北イタリアのソルフェリーノにおけるフランス・サルディニア連合軍とオーストリア軍との間で戦いが起こりました。特に6月24日の戦闘は一日で死傷者4万人を超える激戦になりました。
Napoleon III a la bataille de Solferino
スイス人アンリー・デュナンは、旅の途中で戦場の近くカスティリオーネに運ばれてくる負傷者の群れを目撃し、すすんで村人と共に、国籍の別なく負傷者の救護を開始しました。
ソルフェリーノの塔(遠景)
ソルフェリーノの塔
その後デュナンは『ソルフェリーノの思い出』を出版し、戦場の悲惨な状況を世に伝え、それを防ぐために、各国に救護組織を平時から設けておくことや、その活動を国際間で保障する条約の必要性を提唱しました。
『ソルフェリーノの思い出』1862年
日本赤十字社所蔵また刊行後には各国の要人に会って、彼の提唱する救護組織の設立と、国際間の条約の成立に奔走しました。これが実現したのが各国赤十字社であり、ジュネーブ条約です。150年前のソルフェリーノの戦いは赤十字思想の誕生した時とされています。
ジュネーブ条約の調印
日本赤十字社所蔵 -
2. 五人委員会の発足
デュナンに協力して赤十字の創設に尽力したのが、モアニエ(法律家)、デュフール(将軍)、モノアール(外科医)、アッピア(外科医)の4人です。1863年2月17日の最初の会合で「負傷軍人救護国際委員会」(通称、五人委員会)を発足しました。同会の呼びかけにより、同年10月26日からジュネーブで16カ国の会議を開催、その決議の中で奉仕救護者を養成し、救護者はすべて白地に赤い十字の同一標章を使用することなどを決めました。
Committee of Five Geneva 1863
アンリー・デュナン(Jean Henri Dunant)
1828年5月8日-1910年10月30日1864年8月には各国政府代表による国際会議を開催し、その中の12カ国が「戦地軍隊ニ於ケル傷者及ビ病者ノ状態改善ニ関スル1864年8月22日ノジュネーブ条約」(全10条)に調印しました。この最初のジュネーブ条約には、敵味方の国籍を問わず傷病者を収容し、看護することが示してあります。こののち条約の加入国が増えていき、各国に赤十字社が創設されました。
the first Geneva Convention from 1864
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3. 日本人の赤十字との出会い
1867年(慶応3)年パリ万国博覧会会場に赤十字展示館が設けられ、同年8月にはパリで第1回赤十字国際会議が開催されました。このパリ万博には日本からも江戸幕府と薩摩、佐賀両藩が参加出品し、渡欧した人たちは諸外国の展示を見学しました。その中で佐賀藩の佐野常民は赤十字展示館を見学して、戦傷病者を敵味方の別なく救うという赤十字の人道精神に、深い感銘を受けました。1873年、オーストリアの首都ウィーンで万国博覧会が開催された際、再度渡欧した佐野は国々に赤十字事業が拡がったことを知ります。その印象を彼は次のような言葉で語りました。
「人々は文明開化の象徴として法律の完備や器械の発達をあげるが、
私は赤十字のような国際組織の発展こそ、文明進歩の証拠と考えた」
(明治15年博愛社社員総会での講義、現代語訳)パリ万博から10年後となる1877年(明治10)年、佐野常民は日本赤十字社の前身である博愛社を創設します。
佐野 常民
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4. 博愛社の設立、日本赤十字社の出発
1877(明治10)年2月に九州で勃発した西南戦争では、政府軍と薩摩軍に多数の死者が出ました。戦場に負傷者があふれているとの報道に、博愛社という救護団体の創設を願い出た佐野常民と大給恒(共に元老院議官)は、5月3日に熊本で征討総督の有栖川宮から許可を得ました。5月27日からは医員と看病人(男性)を派遣して救護活動を開始しました。
鹿児島暴走出陣図 月岡芳年画
熊本 日赤記念館
この建物の2階で博愛創設が許可された。博愛社の標章は「紅丸一」で赤十字は使用していません。日本政府は博愛社からの建議書を受けて、ジュネーブ条約加入に動き出し、1886(明治19)年6月5日に加入を果たし、11月15日に公布しました。博愛社は1887(明治20)年5月20日の社員総会で日本赤十字社と改称し、記章を赤十字としました。同年9月2日には国際赤十字への加盟が承認され、同年の第4回赤十字国際会議から正式に参加しました。
赤十字思想誕生150周年 表参道の赤十字旗